児童養護施設出身のあなたへ


こんにちは。
ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツの高萩徳宗(たかはぎのりとし)です。

 

ベルテンポ・カレッジというコンテンツに、児童養護施設の子供たちが唐突に出て来て、違和感を覚える方もいらっしゃるかも知れません。

 

少し長くなりますが、私、高萩と児童養護施設のご縁についてお話しをさせて下さい。

 

私が会社を設立した年の前年、1998年3月5日~14日の10日間。長野でパラリンピックが開催されました。日本赤十字社のご協力を頂き、私はボランティアメンバーとして150名の応援団を率いて、生まれて初めて見るパラリンピックの迫力に圧倒されていました。

 

そのボランティアで、たまたまバスで座席が隣になった、アサヒビール勤務の坂本知嘉子さんが、後に会社内で社会貢献を担当することになり、私に相談を頂いたのが最初のきっかけです。

 

坂本さんの相談は、阪神淡路大震災で被災した子供たちの心のケアをイルカセラピーと言う形で実現できないかと言うものでした。イルカのつてがなかった私は、全国でイルカを飼っているすべての水族館に手紙を書きました。

 

9割の水族館から返事はありませんでした(当たり前ですが)、返信をいただいたところも丁重なお断りがほとんど。
そんな中で太地町立くじらの博物館の館長さんからお電話を頂きました。
「主旨は了解しました。協力できることがあればぜひ一緒にやりたい」と。

 

この太地町のイルカプロジェクトはその後10年間続きました。
その社会貢献活動はKIDSプロジェクトと名付けられ、活動が児童養護施設の子供たちの外出支援へと広がりました。

 

北海道から九州まで、アサヒビールさんの事業所や工場がある地域の、児童養護施設の子供たちを日帰りキャンプに招待するという活動です。
アサヒビールさんは、単にお金を出すだけではなく、大人と子供の触れ合いをとても大切にされて、大勢のボランティアさんが、継続的にKIDSの活動に情熱を注いで下さいました。

(この活動は一定の成果を得たという結論になり、終了しました)アサヒビールさん、20年に渡りありがとうございました。


KIDSプロジェクトから学んだ多くのこと

 

★児童養護施設の存在を知らなかった

 

35歳で創業した私は、当時、児童養護施設という存在もその役割も知りませんでした。
本当に私たちは、興味のないこと以外は目に見えないのだと思いました。

 

※児童養護施設とは

児童福祉法に定められた児童福祉施設の一つです。 さまざまな事情により、家庭による養育が困難なおおむね2歳から18歳の子どもたちが生活している施設です。

 

第二次世界大戦後、いわゆる戦争孤児を保護するための孤児院がお寺や教会など宗教団体が中心となり日本中のあちこちに出来ました。これが養護施設の原型です。その後、孤児は少なくなり、離婚や死別、養育放棄などの社会的擁護を必要とする子供たちの生活の場としての、児童養護施設が社会福祉法人によって運営されています。日本には約600施設あり、3万人の子供たちが生活しながら施設から学校に通っています。

 

★子供たちと触れ合って感じたこと


この文章は、施設出身の子供たちに向けて書いているので、ここに書いたことが上から目線に感じられたり、評論家のように偉そうに思えてしまうかも知れません。知ったようなことを書く失礼をお許しください。施設の存在や役割、子供たちのようすをひとりでも多くの人に伝えることが、養護施設の隅っこに足を突っ込んだものの役目だと思うのです。

 

今まで述べで100回以上、KIDSプロジェクトの添乗員として、この企画に同行させて頂きました。アサヒビールさんは継続的に同じ施設をご招待されているので、子供たちは年々大きくなり、10年通っていると、よちよち歩いていた子供が中学生になったりします。そして初回に触れ合った子供たちはすでに成人しています。

 

施設に入所しているからと言って、何も変わったことなどありません。普通に子供らしい子供たちです。集団生活の中で、色々な想いはあるにせよ、現実を受け入れてお互いが助け合いながら成長していきます。

 

高校を卒業すると、自活するために施設を離れます。
学校の先生や施設職員の全面的な協力と愛情で、就職先を見つけた子供たちは、施設を出て家を借り、又は会社の寮に入り、社会人としての第一歩を踏み出します。

大学へ行く子供もいます。経済的な支援が不足しているので大変です。奨学金を貰い、アルバイトをして、大学に通う。本当に頭が下がります。

 

でも、いくつかの問題があります。

 

★住む場所も探さないといけない

 

施設を出るとまずは済む場所を探す必要があります。敷金や礼金は、高校に入学したころからアルバイトをして溜めるのだそうです。先輩を見ていて、卒業と同時に、どのくらいのお金が必要か判っているからです。アパートの保証人はどうするのか。施設の先生がなってくれることもあるそうです。親の養護や援助はほぼ期待できません。社会的なサポートのしくみも不足しています。

 

★仕事を辞められない

 

施設の子供たちは辛抱強く、頑張り屋さんなので、多少の困難には耐える力を持っています。それでも職場がブラックなこともあるでしょうし、先輩からいじめられることもあるでしょう。でも、辞める訳にはいきません。辞めたら食べていけなくなるからです。

それでも、どうしても続けられなくて会社を辞めてしまうと、戻るところがありません。金銭的にも困窮します。まだ18歳なのに、恐ろしいことです。

 

 

★セーフティ―ネットとしての「個人事業主」「起業」

 

私は児童養護施設の多くの子供たちを見ていて、ひとつ気が付いたことがあります。それは本人たちの問題ではなく、環境の問題です。彼らは親からの助言は基本的に期待できません。養育放棄の状態だったり、そもそも親の生活態度に問題があることも多いからです。親が離婚して再婚して、再婚相手が子供を嫌うから施設に入れる。そんな親も多いのです。でも、虐待されるよりは百倍いいかも知れません。養護施設はセーフティ―ネットです。

 

そのセーフティーネットのなかで擁護されている子供に助言できる大人は、施設の先生か学校の先生です。社会福祉施設の職員さんか、公務員である先生です。

 

ここから先は、失礼を百も承知で、子供たちのために「本当のこと」を伝えると思ってお許しください。

 

施設で育った子供たちに助言するおとなは「保守的」です。

 

良い会社に入れるといいね。(良い会社ってなんだ?)
正社員で採用されて良かったね。(正社員=幸せの保障か?)


先生方、本当にごめんなさい、失礼をお許しください。子供のことを第一に考える身近な大人たちが、必死に就職をあっせんしている姿も知っています。

 

私はそこにもうひとつ、「自分で稼いで食べて行く」選択肢のカードも彼らの頭の片隅に置いていて欲しいのです。

 

子供たちの就職が無事に落ち着き、定着出来たら万々歳です。

でも、万が一(いや、実際にはかなりの確率で)スピンアウトしてしまったときに、再就職が困難であり、施設にも戻れず、誰にも相談できず、悪い仲間に誘われて、人生を転落させてしまう子供たちが少なからずいるのも事実です。

 

だとするなら、万が一スピンアウトしても「大丈夫、気にするな。起業という選択肢がある」ということを保険として、彼らに持たせてあげたいのです。

 

彼らにも適性がありますから、そんなタイプではない、お前はベンチャースピリッツ旺盛だから、とお考えかも知れませんが、私の幼馴染は、私が会社を経営していると聞いたらイスから転げ落ちると思います。母子家庭で経済的には相当に苦しくて、食べるのがやっと、進学も出来ない。子供の頃はいじめられ。社会人になってからも、自分が会社を立ち上げるなんて夢にも思いませんでした。

 

起業、創業は適性じゃないのです。後がないから、必死なだけです。私はサラリーマンという職業が向いていなかったので、職を転々として、最後の会社も辞めてしまいました。もう、自分でやるよりほかに選択肢がなかっただけなのです。

施設でさまざまな経験をして、大変な想いを小さな頃からしている彼らは、私は創業に向いていると思います。

 

必死であること、本気であることが、成功への唯一の出発点です。

 

ぼちぼちやるか、とか環境が整ったら始めます、くらいの気持ちで成功する起業などありません。

 

 

★大成功などしなくていい

 

起業というと成功と失敗しかなさそうですが、自分ひとりが喰えるくらいの稼ぎは、よほど勘違いをしなければ、今の日本では得られます。不安定な「名ばかり正社員」より、よほど精神衛生状態は良いはずです。

 

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